勉強方法は合理的に
考える必要がある。
こんにちは、
静岡学習塾の西ヶ谷です。
('ω')
いつもいつも思うのですが、
生徒さんたちに勉強を
みていて、
効率がよくないな、
と思うことが
よくあります。
たとえば、「書き取り」。
漢字の書き取りの目的は、
おそらく、
いや、まちがいなく、
漢字を覚えるため☝
なのに、
ただ漢字を書いているだけ。
小学生も中学生も。
👋
それで覚えられるほど、
地頭がよければ
いいのですが、
多くの人は、そうもいかないはず。
👋
私自身も、ただ書いている
だけでは、
頭の中には入って
きません。
書いて覚えられる人種と
書くだけでは覚えられない
人種がいるんだと
思います。
あまり、このことを
知っている人は
少ないのでは❓
私自身は
「覚えられない派」
😿
だからこそ、
言えるんです。
かつて私は、
同級生に借りたノートを
写していると、
複数の同級生から、
それだけ書いたら
覚えるだろう・・
と言われました
が、私自身は書いたからと
言って、
記憶としてはしっかり
定着できていません
でした。
(残念( ;∀;))
かしこい頭の人は、
書くことで覚えられると
思っているかも
しれません。
なので、
「量」で出される宿題に
対して、
それをやることで
たくさんの漢字を
覚えることが
できるのだと思います。
(それでも非効率だと
思いますが・・)
なぜ、多くの人が
書けば(書くだけで)
覚えられると考えている
のか❓
英単語もそう。
単語をいくつ書けばいいのか
聞いている生徒さんも
います。
いくつ書けば覚えられる
のか❓
3個書けば覚えられる、
10個書けば覚えられる、
目安となる個数がある
ものだと思っている
ようです。
そんな生徒さん、
多くないでしょうか✋
何個書けば覚えられるかは、
個人差があって・・・①
何を考えながら書いている
かでも、ちがいがあり・・②
そもそも、書けば(だけで)
覚えられるというのも、
ちょっと、
ちがうかな・・➂
と、
➀➁➂より、
いくつ書けば、単語が
覚えられるようになるのか
という法則は
ないでしょうね((+_+))
では、
なぜ、
書け、書け、ということに
なるのか❓
それは、
過去の習慣から来ている
ように思います。
少なくとも、
私の時代にも
書けば・・
という考え方が
主流でした。
つづく🙇
書けばなんとかなるの❓
こんにちは、
静岡学習塾の西ヶ谷です。
🤗
とにかくたくさん
書かせる、というような
「マシンガン書き取り」
(勝手に造りました 苦笑🙉)
は、
私はむだが多いように
思います。
書きまくって覚えられている
人もです。
とにかく量をこなして、
たくさん書いて、
そして、書いたことで
満足感に浸っている❓
ように思えてしまう。
それでは、
やったつもりに
なっただけなんじゃないの❓
って思う。
塾で自習をしている生徒さんの
姿をみても
そんなふうに思います。
ああ~
こりゃちがうな👋
そして、
その「マシンガン」を
信じ込んでいる。
小学校のときから
「仕込まれている❓」ので、
書くこと、からの
呪縛(じゅばく)からは
なかなか逃れられないん
じゃないかと思っています。
そこには「合理的」という
言葉とは無縁と思えます。
勉強はスキル、
勉強方法はアート、
であると思います。
合理的(むだがない)なこと
には、裏付けがある。
理にかなった勉強方法は
美しい✧
生徒さんたちには、
むだなく最短距離を行くように
お話ししています。
遠回りは誰でも
好きではないはず。
合理的なものを追究せずに
過去の慣習を疑いもなく
信じている(のでは?)
それでは、進歩がないと
思います。
考えない勉強はダメです。
勉強の内容以外にも
どうしたら早く上達できるのかを
考えて工夫してやらないと、
旧態依然として、
なかなか進歩できません。
勉強の仕方を
合理的につきつめて
考えながら勉強する。
そうすれば、
マシンガンのような
書き取りもなくなり、
その他、多くのむだが
なくなり、
非合理的な勉強法を
しなくなってくるはず
だと思います。
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